PieTownからDeming
- 2013/11/05
- 12:44
体調の悪さと町の環境
PieTownは、電波が入らない町だった。ワンダラーさんに、前日歩いた場所まで送ってもらい、ダートロードを歩く。ニューメキシコは、70%が道路歩きと言われている。思いの外、歩く距離が進むが、朝晩はいまだに氷点下。しかも、水場も少ない。PieTownから、次の補給地DocCampbellsまでは、非常に変化にとんだトレイルになる。ダートロードから、乾燥した草原地帯、渓谷歩き、舗装道路歩きになる。体調が悪い中、夜明けと共に出発し、日暮れと共にテントを張る生活。この時期、ちょうどニューメキシコは、ハンティングシーズンに入る。最初は、鹿のハンティングの解禁で、普段は誰もいないトレイルも、時折ハンターを見かけるようになる。

たまたま、知り合ったハンターのクリスとお父さんからお誘いを受けて、一緒にキャンプする事があった。焚き火を囲み、小さいビールを頂き、ハンティングの話を聞く。ある瞬間から、私の記憶が無くなっていた。気が付くと、クリスに抱えられていた。後頭部から倒れたらしい。完全に気絶していたようだった。失禁もともなっていた。この日、トレーラーハウスに泊めてもらったのだが、あまり記憶がない。

翌日、朝早くにハンティングに行くクリス達と一緒に出発した。このエリアでは、近くの町までかなりの距離がある。トレイルを歩くのが一番近い。とりあえず、次の町まで頑張ろうと思い、必死に歩いていた。多くのハイカーが歩く、ガリアリバールートを選択した。谷底の川沿いを歩くこのルートは、20マイルの距離の中、川渡りが85回ある。洪水の後が酷く、トレイルも流されている。何度も川を渡るうちに、ブーツがどんどん濡れていく。深い所で膝下。深い谷の為、日差しもなく肌寒い。ここでも、20マイル進むと、山ルートと谷ルートに別れる。もしもの場合の危険性を考え、山ルートを進む。後から聞いた話だが、山ルートを選択して正解だった。

谷ルートは、時折水かさが増し10フィートほど水かさが増すとの事だった。体調も悪く、 DocCampbells で休もうと思ったが、キャンプサイトは、温泉だけ。ストアはオフシーズンで、営業時間が短い上に電波も入らない。最悪の状況だった。ここでも、サプライズがあった。昨年の日本人PCTハイカーで、最後一緒に歩いたかんじ君(根本さん)とその友人から、沢山の差し入れが届いていた!さずが、かんじ君セレクト!私の欲しく、軽い食べ物!最高に嬉しい瞬間でした!ありがとう。

DocCampbellsからMimbresまで、ロードルートを選択した。やはり、から谷底ルートになる為である。増水の危険性と、川渡りでブーツが濡れ、風邪が悪化しない為の選択。この選択が、次の素敵な出会いを運んでくれた。たまたま、声を、掛けてもらったDouqから、ご自宅に泊まらせて頂く事になった。Douqは、獣医師で、今はリタイヤしてMimbresに移り住んでいる。夕食は、Douqの釣った虹鱒をご馳走になり、奥さんからは洗濯してもらい、楽しい時間を過ごさせて頂いた。

やはりMimbresのキャンプサイトも、あまり良くなく、ストアも小さい。しかも、Douqに泊めて頂いて、キャンプサイトに更に泊まる訳にはいかない。私は休まずトレイルを進む事にした。私が選ぶ、ゴールまでのルートはColumbusルート。このルートは、前半10000フィート近くまで登るのだが、後半は5000フィート近くまで降る。ただ、私有地を多く通る。プライベートプロパティ。緑→青→黄→赤と、看板の色によって警告の度合いが上がる。鍵の掛かっているフェンスを何度もよじ登る。脇には一番警告が強い赤の看板が掛けられている。有刺鉄線をいくつ越えたのだろう。ルートとはいえ、非常に恐ろしい。アメリカは銃社会である。もしもの事を考えると、落ち着かない。それでも進まなくてはならない。

そこがルートだから仕方がない。膝を何度も有刺鉄線に引っかけ、血が滲む。ただ、ひたすら歩く。Demingの町を目指して。爪先さがりのトレイルは、予想より早く、私をDemingの町まで導いてくれた。ようやく休日が取れる。後60マイルで、メキシコの国境にたどり着く。私は何を思い、どう感じるのだろう。最後、国境から3マイル手前の町Columbusが、私にとって最後の町になる。ここにも、嬉しい出来事が待っている。父と呼びたい中の一人、昨年のPCTハイカー、デザートフォックスが来てくれる!
PieTownは、電波が入らない町だった。ワンダラーさんに、前日歩いた場所まで送ってもらい、ダートロードを歩く。ニューメキシコは、70%が道路歩きと言われている。思いの外、歩く距離が進むが、朝晩はいまだに氷点下。しかも、水場も少ない。PieTownから、次の補給地DocCampbellsまでは、非常に変化にとんだトレイルになる。ダートロードから、乾燥した草原地帯、渓谷歩き、舗装道路歩きになる。体調が悪い中、夜明けと共に出発し、日暮れと共にテントを張る生活。この時期、ちょうどニューメキシコは、ハンティングシーズンに入る。最初は、鹿のハンティングの解禁で、普段は誰もいないトレイルも、時折ハンターを見かけるようになる。

たまたま、知り合ったハンターのクリスとお父さんからお誘いを受けて、一緒にキャンプする事があった。焚き火を囲み、小さいビールを頂き、ハンティングの話を聞く。ある瞬間から、私の記憶が無くなっていた。気が付くと、クリスに抱えられていた。後頭部から倒れたらしい。完全に気絶していたようだった。失禁もともなっていた。この日、トレーラーハウスに泊めてもらったのだが、あまり記憶がない。

翌日、朝早くにハンティングに行くクリス達と一緒に出発した。このエリアでは、近くの町までかなりの距離がある。トレイルを歩くのが一番近い。とりあえず、次の町まで頑張ろうと思い、必死に歩いていた。多くのハイカーが歩く、ガリアリバールートを選択した。谷底の川沿いを歩くこのルートは、20マイルの距離の中、川渡りが85回ある。洪水の後が酷く、トレイルも流されている。何度も川を渡るうちに、ブーツがどんどん濡れていく。深い所で膝下。深い谷の為、日差しもなく肌寒い。ここでも、20マイル進むと、山ルートと谷ルートに別れる。もしもの場合の危険性を考え、山ルートを進む。後から聞いた話だが、山ルートを選択して正解だった。

谷ルートは、時折水かさが増し10フィートほど水かさが増すとの事だった。体調も悪く、 DocCampbells で休もうと思ったが、キャンプサイトは、温泉だけ。ストアはオフシーズンで、営業時間が短い上に電波も入らない。最悪の状況だった。ここでも、サプライズがあった。昨年の日本人PCTハイカーで、最後一緒に歩いたかんじ君(根本さん)とその友人から、沢山の差し入れが届いていた!さずが、かんじ君セレクト!私の欲しく、軽い食べ物!最高に嬉しい瞬間でした!ありがとう。

DocCampbellsからMimbresまで、ロードルートを選択した。やはり、から谷底ルートになる為である。増水の危険性と、川渡りでブーツが濡れ、風邪が悪化しない為の選択。この選択が、次の素敵な出会いを運んでくれた。たまたま、声を、掛けてもらったDouqから、ご自宅に泊まらせて頂く事になった。Douqは、獣医師で、今はリタイヤしてMimbresに移り住んでいる。夕食は、Douqの釣った虹鱒をご馳走になり、奥さんからは洗濯してもらい、楽しい時間を過ごさせて頂いた。

やはりMimbresのキャンプサイトも、あまり良くなく、ストアも小さい。しかも、Douqに泊めて頂いて、キャンプサイトに更に泊まる訳にはいかない。私は休まずトレイルを進む事にした。私が選ぶ、ゴールまでのルートはColumbusルート。このルートは、前半10000フィート近くまで登るのだが、後半は5000フィート近くまで降る。ただ、私有地を多く通る。プライベートプロパティ。緑→青→黄→赤と、看板の色によって警告の度合いが上がる。鍵の掛かっているフェンスを何度もよじ登る。脇には一番警告が強い赤の看板が掛けられている。有刺鉄線をいくつ越えたのだろう。ルートとはいえ、非常に恐ろしい。アメリカは銃社会である。もしもの事を考えると、落ち着かない。それでも進まなくてはならない。

そこがルートだから仕方がない。膝を何度も有刺鉄線に引っかけ、血が滲む。ただ、ひたすら歩く。Demingの町を目指して。爪先さがりのトレイルは、予想より早く、私をDemingの町まで導いてくれた。ようやく休日が取れる。後60マイルで、メキシコの国境にたどり着く。私は何を思い、どう感じるのだろう。最後、国境から3マイル手前の町Columbusが、私にとって最後の町になる。ここにも、嬉しい出来事が待っている。父と呼びたい中の一人、昨年のPCTハイカー、デザートフォックスが来てくれる!
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