4年目の憂鬱
- 2015/04/12
- 12:53
僕は、スロースターター。
エンジンが掛かるまで、あれやこれやと悩むのが癖になっている。

4年目の今年、明らかにいつもの年と違う心持ちになっている。
必死に歩いてきた3年間。不安も考える余裕が無く何とか生きてこれた。
会社を辞めてから3大トレイルを終わらせて、2月まではニュージーランドのトレイル・テアラロアを歩いた。
しかし、体調の変化は、あきらかに昨年からあったように思う。
先に、体の変化の戸惑いから始まった事が、そしてついに帰国後から気力の停滞が始まった。
俗に言う「厄年」を境に、少し心にも体にも変化しつつあるのかもしれない。
思い切って、自分の中の何かを変えてみようと思い、身辺の整理を進めてみる。
懐かしい物や捨てられなかった物を思い切って処分してみた。
さほど変わらない事に気がつく。
髪を少し切ってみた。
どうやら変わらない。
口ひげを伸ばしてみる。
あまり変わらない。
考えてみれば、少し色々な事を早回しにしようとしているのかもしれない。
時間の掛かる事は時間をかける。
簡単な事は簡単に済ませる。

自然な流れに、立ち向かおうとしているのではないだろうか?俺?と思い始めた。
考えてみれば人間なんて自然の中ではちっぽけな存在でしかない。
自然にの流れに対抗しようとしても、その自然の力の前にはどうする事もできない。
風が吹かないときに、帆を出しても進まない。
道が無いのに道を探しても見つからない。
解ってはいるのだが。
もしかしたら少しだけ、人生にロストしているのだろうか?
果樹は、花が咲き、散り、実をつけて、また翌年に蕾をつける。
今は、テアラロアの収穫を終えて一旦古い木の人生が終わったのかもしれない。
その節目がきっと「厄年」であり、4年目の憂鬱なのかもしれない。
人生も後半戦。新しい木にまたいずれ花が咲き実が付けられるように、今は新たな心と体を育もうと思う。

エンジンが掛かるまで、あれやこれやと悩むのが癖になっている。

4年目の今年、明らかにいつもの年と違う心持ちになっている。
必死に歩いてきた3年間。不安も考える余裕が無く何とか生きてこれた。
会社を辞めてから3大トレイルを終わらせて、2月まではニュージーランドのトレイル・テアラロアを歩いた。
しかし、体調の変化は、あきらかに昨年からあったように思う。
先に、体の変化の戸惑いから始まった事が、そしてついに帰国後から気力の停滞が始まった。
俗に言う「厄年」を境に、少し心にも体にも変化しつつあるのかもしれない。
思い切って、自分の中の何かを変えてみようと思い、身辺の整理を進めてみる。
懐かしい物や捨てられなかった物を思い切って処分してみた。
さほど変わらない事に気がつく。
髪を少し切ってみた。
どうやら変わらない。
口ひげを伸ばしてみる。
あまり変わらない。
考えてみれば、少し色々な事を早回しにしようとしているのかもしれない。
時間の掛かる事は時間をかける。
簡単な事は簡単に済ませる。

自然な流れに、立ち向かおうとしているのではないだろうか?俺?と思い始めた。
考えてみれば人間なんて自然の中ではちっぽけな存在でしかない。
自然にの流れに対抗しようとしても、その自然の力の前にはどうする事もできない。
風が吹かないときに、帆を出しても進まない。
道が無いのに道を探しても見つからない。
解ってはいるのだが。
もしかしたら少しだけ、人生にロストしているのだろうか?
果樹は、花が咲き、散り、実をつけて、また翌年に蕾をつける。
今は、テアラロアの収穫を終えて一旦古い木の人生が終わったのかもしれない。
その節目がきっと「厄年」であり、4年目の憂鬱なのかもしれない。
人生も後半戦。新しい木にまたいずれ花が咲き実が付けられるように、今は新たな心と体を育もうと思う。

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